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小松川教会よりあなたへ

東京都江戸川区北葛西にある日本基督教団小松川教会ブログです。ホームページ委員会が更新していきます。




あなたの罪は赦された :: 2018/09/24(Mon)

☆6月3日の中高生礼拝より☆
ルカによる福音書5章17~26節p110(新)


《聖書の箇所を読んで、一緒に考えてみましょう》

1)イエス様は、誰の信仰を見て病の人を癒されましたか。
 (18~20節)
  
2)23節を読みましょう。
あなたは、どちらが易しいと思いますか?

3)26節、見ていた人々の反応はどうでしたか?

答えは↓続きにあります。

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  1. 未分類

子どもを育てるのは? :: 2018/09/20(Thu)

小松川教会には附属白百合保育園があります。
2016年4月に赴任してから、
火曜日から金曜日の午前中は、保育の現場で
子どもたちと過ごしています。

キリスト教会では、一つには伝道のため、
また、社会に貢献する活動として、
幼児施設を運営しているところが結構あります。

つい2,3日前に、若い男性牧師と幼児施設について話していた時、
「直子先生は、保育園のように長時間子どもを預かる施設について、
反対ですか、賛成ですか?」と聞かれました。

思わず、うーん、と考えてしまった。

うちの保育園は延長保育をしていません。
それでも、朝は7時半から、夕方は6時半まで、子どもを預かります。
こんなに長時間、親と離れていて、
子どもにまっとうな愛着感情が育つのだろうか、と思わないこともない。

でも場合によっては、様々な事情で家庭の中が、
子どもが育っていくにはちょっと厳しい、という時だってあります。
そして日本って、特に母親に対しての目が厳しいと思うのです。

お母さんが大きなプレッシャーの中で、子どもと二人っきりで
一日を過ごすことで、イライラして荒々しい態度になることもあるでしょう。
それくらいなら、大勢の子どもにまぎれて、おもちゃもたくさんあって、
栄養バランスの良い給食も出る保育園のほうが、
子どもにとってはいいのかもしれない。
土日は家族といるわけですし。

けっこう、その場にいた牧師数名と、真面目に話しました。
後になって、自分の中で出た結論は、というと。

保育園の良しあしや、子どもの育ちについての考えは、
それなりにあるけれども、それを正しいとか悪いとかは、簡単に言えません。

でも、目の前に、ひとりの子どもがいるならば、
できることでかかわっていきたい、と思うのです。
わたしは牧師だから、
あなたは神様に愛された子どもだよ、大丈夫だよ、と
よーく、分からせてあげたい。
それだけだなあ、できそうなことは。

澤田直子


  1. 牧師のつぶやき

プレゼントする、という事 :: 2018/09/13(Thu)

9月です。
あれほど暑かった夏がひと段落して、
朝夕は虫の声が聞こえるようになりました。

9月といえば、
教会では敬老感謝礼拝、
こちらは75歳以上の方が対象になります。

保育園では祖父母様招待会。
0歳から6歳までの子どもたちの祖父母様とくれば、
まあ、若い若い、わたしより若い方もおられます。

教会の礼拝では、祝福のお祈りをして、
ささやかなプレゼントをさしあげて、記念撮影をします。

保育園はもっと大がかり、気合が入ります。
子どもたちは、それぞれのクラスでプレゼントを作りました。
お歌や合奏のプレゼントも、と練習もしてきました。

全員のおじいちゃんおばあちゃんが来られるわけでは
ありませんが、来てくださる方々は、どの子の様子も
喜んで、こぼれんばかりの笑顔で拍手してくださいます。

特に0、1歳児なんかは、
もう、泣こうが歩かなかろうが、可愛い可愛い。
出てくるだけで充分、喜んでもらえます。

2歳3歳になると、緊張のあまり
おふざけする子や、固まってしまう子もいますが、
それもまた可愛い。

4歳5歳は立派です。よくこんなに育ってくれたねえ、という
拍手をあびて、誇らしげな顔がまた可愛い。

考えてみると、子どもって、
こんなにも無条件に喜ばれる場面は決して多くないのです。
どうしても、できる・できないで見られてしまう。

だから、祖父母様招待会ですけれども、実は子どもたちに
「ね、あなたたちは、そこにいるだけで、
皆を幸せにする力を持っているんだよ」と
伝えることができる場でもあるのです。

わたしも、当日はお客様席。
にこにこして大きな拍手をおくりたいと思っています。

澤田直子




  1. 未分類

神様の家族、ハレルヤ! :: 2018/08/18(Sat)

今週半ばにご葬儀があり、さすがに少し疲れが出ました。
ところが、思いがけない嬉しいことがあって、
神様ってすごいなあ、と感謝しているところです。

そう、クリスチャンには「偶然」はありません。
事の大小を問わず、全ては神様のご計画と信じます。

保育園の午後のミーティング、武牧師の受洗準備の学び会も終わり、
あとは週末の、保育園からの報告を聞いて一緒にお祈りする時を待ちつつ、
印刷物の準備などしている時に、来訪者がありました。ピンポーン!

平日は圧倒的に保育園へのご用の方が多いので、
あ、誰か来ましたね~、くらいの気持ちで顔を上げたら!!!
前任教会の青年がニコニコと立っているではありませんか。
結婚を前に、結婚カウンセリングまでは終わらせて(楽しかった)
結婚式は5月の予定でしたから、後任の牧師にお願いして、
じゃあね、またね~と、わたしたちは小松川教会へ来たのでした。

その後、年賀状のやり取りはあったものの、
彼は前途洋々、某有名企業のエンジニアで、今は双子のパパとなれば、
公私ともに充実た生活、忙しいであろうことは目に見えています。
まさかここまで会いに来てくれるとは思わなかったのです!

葛飾区にあるご実家に帰省して、葛西臨海公園に遊びに行き、
帰りに寄ってくださったのでした。嬉しかったなあ。
お子さんは後部座席でぐっすり。
これから栃木県まで運転して帰る、ご自分にも疲れがあったでしょうに。
子連れで動くのは大仕事。付き合ってくださった奥様にも感謝、感謝。

「教会」という組織に、時に疲れを覚えたり、
やはり人間の集まりですから、言葉や感情のやり取りに
心が波立ち、困り果てることもあります。
でも、それは家族だから、心が近いから仕方ない。
「関係ない」人だったら何でもないことでも、
関係が深いほど、近いほど、心が揺れ動くものです。

その分、こんなふうに、思いがけない出会いと喜びがある。
特に、7月末からお別れが続いていただけに、
神様から「別れと出会いは同じ数あるはずだよ」と
教えていただいたような気持ちになりました。

澤田直子





  1. 牧師のつぶやき

キリスト教式のご葬儀 :: 2018/08/09(Thu)

暑さのせいでもないと思いますが、ご葬儀が続いています。

7月の終りに1件、今週末に1件。
どちらもご高齢の方でしたから、ある程度の覚悟はあったものの、
人ひとり天に送るのは、やはり大仕事であり、寂しさがつのります。

教会でのご葬儀の場合、
参列される方の大部分が「初めて教会に来た」ということもあります。
葬儀式で歌われる讃美歌や聖歌を、ほとんどの人が知らないことも。
特に最近好まれている「家族葬」が行われると、
ご遺族がクリスチャンではない場合、讃美歌を歌うのは牧師だけ、
ということもあり得ます。

それでも、参列してくださった方の大部分が、
「キリスト教の葬儀はいいですね」と言ってくださいます。
牧師の説教や遺族や友人の「感話」では、召された方の思い出が語られ、
最後は参列者皆で、棺を花で飾り、ご本人を主役に進められる式だからでしょうか。

キリスト教では「死」をケガレとはとらえませんから、
お清めの塩や、お酒の振る舞いはありません。
むやみにしめやかさを演出したり、悲しみを盛り上げたりせず、
悲しみの中にもどこか明るさがあり、わたしの感覚では
「葬儀」というよりも「お見送り」に近い気がします。

生きるものすべてに訪れる「死」もまた神様の御手の内にあり、
信仰者にとっての「死」は次に神様のもとで会うまでの、一時の別れです。

「四十九日のような法要はどうするのですか」と聞かれることがあります。
キリスト教では、「死」を「召天」と言い表すように、
住まいが地上から天に移ったと考えますし、
ご本人は神様の御許で何の心配も不自由もないはずです。
残された者が、召天者を心配して追善法要的なことをする必要はありません。

でも何もしないのも寂しいので、「記念会」として、節目の時に(一か月とか一年とか)
集まって、思い出を分かち合いながら食事会やお茶会をすることもあります。

そういう機会がなくても、教会の暦には「聖徒の日」があり、
年に一度、その教会に集っておられた方々を思い出し、
今も共に歩む思いを持って礼拝を献げる日となっています。
つまり、教会が存続する限り、祈りが捧げられるのです。

墓前礼拝も「聖徒の日」と「イースター礼拝」の日に奉げられるので、
たとえ後に続く子孫がいないという方でも、無縁ナントカにはなりません。
教会は、ひとつの大きな家族なのです。

キリスト教と聞くと、「外国の」とか「小難しい」とか
拒否反応を示す方に、こんなことも知ってほしいなあ。

澤田直子



  1. 牧師のつぶやき
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