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ハッピー イースター!

2017年04月13日
某国民的テーマパークのおかげさまで、
すっかり知名度が上がったイースターですが、あれではお祭り騒ぎ。
ちょっと変な気持ちです。
キリスト教会にとって、イースターはクリスマスより大切かも。

イースター(復活祭)は、十字架で死なれたイエス・キリストが、
3日目の日曜日の朝に復活されたことをお祝いする日です。

聖書を読むと、弟子たちは復活のことを教えられていたにもかかわらず、
怖がったり、信じられなかったり、何とも情けない有様でした。

しかしそこはさすがにイエス様。
復活の知らせを聞いてもなお部屋に鍵をかけて閉じこもっていた
弟子たちの真ん中に現れて、「あなたがたに平和があるように」と
言ってくださいます。

ゲツセマネの園でイエス様が捕らえられた時には
我先に逃げ出した弟子たちに対して、
責めるでもなく、がっかりするでもなく、
平和の挨拶をしてくださるとは。

さらに、たまたまその場に居合わせず、
イエス様の復活を疑った弟子トマスのために
もう一度現れてくださり、「釘の後に指を入れてみなさい」と。

こういう事を知ったうえで、「ハッピー イースター」と挨拶するのは、
また格別の喜びがあるのではないでしょうか?

「本当のクリスマスを教会で過ごしましょう」と言うのと同じに、
「本当のイースターの恵みを教会で味わいましょう」なんて、
お誘い合わせては?

ちなみに、小松川教会ではこの日、洗礼式も行われます。ハレルヤ!

澤田直子


牧師のつぶやき

卒業式・入学式

2017年04月05日
3月4月は、締めくくりとスタートの月ですね。
保育園は、卒園式はしますが、3月31日までは子どもが来ます。
最後の日の夕方、「シャローム」(ヘブライ語で平和の挨拶)と名付けた
お別れ会が行われました。
卒園する子どもたちの歌や演奏、卒園作品の披露など、
1時間弱、在園児と共に感謝の時を過ごしました。
担任の先生が涙を拭いているのを見てもらい泣きしたり、
号泣する卒園児につられて泣いている在園児がいたり、
この子たちは長い長い時間を一緒に過ごしたんだ、と
あらためて感じたことでした。

そして、今日4月5日は、東京聖書学校の入学式。
わが小松川教会から、一人の神学生が誕生しました。
教会員もたくさん出席してくださり、門出を祝いました。
(これからが大変なんですけどね。)

思えば、昨年3月末に引っ越してきて、
江戸川区民になるのに3時間半待ったっけ。
あの時は、桜が咲いていたのにもろくに気づきませんでした。

一年間は早かった!そして、この年度末年度初めも
大きな波の中にあるような気がします。
神さまと共に小学校生活を、保育園生活を歩み始める子どもたち、
そして、ウン十年ぶりに学びの毎日を始めるS神学生。
祝福と御守りが豊かにあらんことを!

澤田直子
牧師のつぶやき

レントって何?

2017年03月21日
イースターの知名度は大分上がってきましたが、
その前のレントについては、ん?何それ?という方も多いと思います。

イースター前の40日間(日曜日を除いて)のこと。
今年は3月1日から始まりました。

この期間、クリスチャンはイエス・キリストの十字架を思って、
心静かに信仰的に過ごすことを心がけます。
自分の罪を思い、祈りを生活の中心にするよう心掛け、
中には、イエス様の受難を偲んで好きな食べ物を断ったり、
克己献金として捧げものをしたりする人もいます。

リオのカーニバルの「カーニバル」謝肉祭とは、
レントに入る前に存分に楽しんでおこう、というところからできた
お祭りだそうです。何か変な感じ!

昨年まで、某女子刑務所のキリスト教教誨師をしていたのですが、
毎年決まって「今年のレントはいつからですか?」と質問される方がいました。
イースターが移動祝日なので、レントも毎年始まる日が違うのです。
それほど熱心な信仰者なのに、なぜ刑務所にいるのかなあ、
と悲しくも不思議でした。

信仰者でなくても、時々心を静かにして、
口から出してきた言葉や、行いを振り返ることは必要じゃないかと思います。
とはいえ、この季節は年度替わりの忙しい時。
気候もいわゆる三寒四温で、体調を崩しやすい時です。(花粉症も!)

心だけじゃなく、体だけじゃなく、魂まで含めて、
平穏で勇気とやさしさに満ちていられればいいですね。
澤田直子記
牧師のつぶやき

保育参観あれこれ

2017年02月09日
今週は、保育参観週間です。
たくさんの保護者が、お子さんの保育園での活動の様子を
見に来てくださっています。

本当は、いつもの保育園での生活を見ていただきたいのですが、
なかなかそうはいきません。

子どもたちも、お母さんお父さんが見ていると、
そわそわしたり、やたらにはりきったりと、
いつもとちょっと違う姿を見せてくれます。

いつもは、トイレに誘導しても、なかなか遊びから離れられず、
ズボンを脱いでひと遊び、スパッツを半分おろしてうろうろ、
人一倍時間がかかる子が、今日はやけにさっさと支度しているなあ、と思うと、
お母さんが向こうで見ていたりします。

「見守られている」ということは、大きな影響があるんだなあ、と思わされます。

大人になって、見守ることはあっても、見守られている感じを
あまり持たなくなってしまいましたが、
神さまに見守られていることを、ふと思いました。

子どもから教わることは多いですね。
牧師のつぶやき

「べき」からの解放

2017年01月28日
ああ、またお久しぶりになってしまいました。反省。

先日、付属保育園の研修で「アンガーマネジメント」なるものを学びました。
いやあ、おもしろかった!
わたし自身、宇都宮にいた時には親業講座の講師もしていたので、
「怒り」の問題は何度となく取り上げて来ました。
内容は同じなんです。

でも、教える側と、教えていただく側では、同じ内容でも違うものが残るのです。
つまり、教える時は「人の事」でも教えられる時は「自分の事」
それがこんなに違うんだなあ、というのにまず驚きました。

「怒り」のタイミングが速すぎる「瞬間湯沸かし器型」も
後々までゆるゆると引きずる「貼り付けカイロ型」も、
その元になるのは、自分の「こうあるべき」という信念と、周囲のズレなのです。

怒りに囚われた時には、まずは静まって、
わたしの「べき」は最も至極なことだろうか?
ただのマイルール、自分の感情かも?と検証してみる。

クリスチャンは、どんな人に対しても愛をもって優しく接するべきだ
・・・と思っている人が、教会に来た時に期待していたほどの歓迎を受けなくてがっかりするとか。
クリスチャンは、絶対に休まず礼拝に出るべきだ
・・・と思っている人が、介護や病気のために礼拝に来られない信徒に腹を立てるとか。
クリスチャンになったからには、過ちや失敗は許されない
・・・と思い込んで、自分に過度なプレッシャーをかけて疲れ果ててしまうとか。

「べき」って、いらないストレスを呼び込むなあ、と改めて思ったのでした。
ところで、牧師特有の「べき」って何でしょうねえ。
研修の時、「自分のべき」を書き出してみました。

武師「電気は消すべき」・・・かわいい!
牧師のつぶやき
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