「べき」からの解放

ああ、またお久しぶりになってしまいました。反省。

先日、付属保育園の研修で「アンガーマネジメント」なるものを学びました。
いやあ、おもしろかった!
わたし自身、宇都宮にいた時には親業講座の講師もしていたので、
「怒り」の問題は何度となく取り上げて来ました。
内容は同じなんです。

でも、教える側と、教えていただく側では、同じ内容でも違うものが残るのです。
つまり、教える時は「人の事」でも教えられる時は「自分の事」
それがこんなに違うんだなあ、というのにまず驚きました。

「怒り」のタイミングが速すぎる「瞬間湯沸かし器型」も
後々までゆるゆると引きずる「貼り付けカイロ型」も、
その元になるのは、自分の「こうあるべき」という信念と、周囲のズレなのです。

怒りに囚われた時には、まずは静まって、
わたしの「べき」は最も至極なことだろうか?
ただのマイルール、自分の感情かも?と検証してみる。

クリスチャンは、どんな人に対しても愛をもって優しく接するべきだ
・・・と思っている人が、教会に来た時に期待していたほどの歓迎を受けなくてがっかりするとか。
クリスチャンは、絶対に休まず礼拝に出るべきだ
・・・と思っている人が、介護や病気のために礼拝に来られない信徒に腹を立てるとか。
クリスチャンになったからには、過ちや失敗は許されない
・・・と思い込んで、自分に過度なプレッシャーをかけて疲れ果ててしまうとか。

「べき」って、いらないストレスを呼び込むなあ、と改めて思ったのでした。
ところで、牧師特有の「べき」って何でしょうねえ。
研修の時、「自分のべき」を書き出してみました。

武師「電気は消すべき」・・・かわいい!
【2017/01/28 09:48 】 | 牧師のつぶやき | page top↑
《原 登 先生を偲んで》
12月17日未明に、小松川教会の象徴的存在であられた、
原 登先生(日本基督教団隠退教師)が天に召されました。
95歳でした。

その1週間前に、入居されていた老人ホームでのクリスマス会にハンドベルクワイアのメンバーと一緒に伺いました。
いつもと変わらず、大きなよく通るお声でお祈りしてくださり、エレベーターでお部屋に帰る時に手を挙げて挨拶してくださったお姿からは、まさか1週間後に天に召されるとは想像もできないことでした。

5月まではほとんど欠かさず毎週の礼拝に来てくださって、「今日、説教の御用をさせていただきます澤田です」と挨拶すると、いつも、「そうですか、それはまことにありがたい!」と励ましてくださいました。
教会におられる時はお元気ですが、お帰りになると疲れてしまい、体調を崩すことがあるので、6月からは聖餐式のある時だけにしましょう、となり、でも6月の1週目は気温が急に高くなったので、秋になったら、となり、結局5月1日、原先生の95歳の誕生日に礼拝に来られたのが最後でした。

召された17日は保育園のページェント礼拝でしたので、奏楽する直子は行くことはできず、武牧師が駆け付けました。
まるで眠っておられるようなお顔だったそうです。
ホームの方のお話では、前の晩の食事(ステーキ)も残さず召し上がり、いつものようにお風呂に入って、いつものようにお休みになった、との事でした。

4月に赴任した私たちは、原先生との関りは短い期間でしたが、それでも、そのお人柄に触れて教えられることがたくさんありました。
特に、いつも口にされる言葉が「まことにありがたい」「すみません」、そして朗らかに「ははははは」と笑われ、時に女性には「おきれいですね」と、にっこりとされ、原先生の存在は「証」だなあ、と思わされたことでした。
火葬前式ではハレルヤ三唱してお見送りをしました。

一つの時代の終わりのように思えて、寂しさを感じられる方々が多くいらっしゃることと思います。
讃美歌21の575番「球根の中には」の3番の歌詞を思います。
・・・いのちの終わりは いのちの始め
  おそれは信仰に 死は復活に
  ついに変えられる 永遠の朝
  その日、その時を、ただ神が知る

今度、原先生にお会いする時までに、自分の人生もしっかりと歩いて行かなくては、と思います。

【2016/12/29 10:20 】 | 牧師のつぶやき | page top↑
《リアル戦メリです》
しばらくブログ更新しなかったので、「先生、忙しいのですか?」と聞かれまして。
忙しいことは置いといて、読んでくださっている方がおられるんだなあ、と励みになります。

某有名テーマパーク(わりと近く)のおかげさまで、
ハロウィーンが終わったら次はクリスマスですよ、みたいな空気がありますが、
教会の暦では、11月30日に一番近い日曜日が、「アドベント」(待降節)の始まり。
昔は、この日が1年の始まりだったこともあるそうです。

今年は11月27日からアドベントが始まりました。
リースやツリーを飾り、礼拝で歌う讃美歌もクリスマスの歌になりました。
ちなみに、クリスマスシーズンの終わりは1月6日。
3人の博士がイエス様を拝みに来た「公現日」です。
だから、クリスマスが終わったのに、教会にはまだツリーがあるぞ!お片づけは?
なんて思わないでくださいね。

この季節は、牧師にとっては本当に忙しく、また正念場とも言えるシーズンです。
特にクリスマスイヴ前後の2週間くらいは、教会の催しが続いて
心の休まる時がありません。クリスマスなのに!!!

何年か前に、牧師仲間と話していて、「リアルに戦場のメリークリスマスだよねー」と
笑ったことでしたが、笑い事じゃないんですよ~。
牧師の心身の健康のためにもお祈りください。

でも、この季節、信徒の方々も本当に一生懸命に、
お掃除やら飾りつけ、チラシ配り、食べ物の準備と、惜しみなく働きを奉げてくださって、
忙しいけど、大変ですけど、楽しい時でもあります。
今はとにかく保育園のページェント(キリスト降誕劇)に8割くらいの力を注いでいます。

クリスマスの本当の意味を知る皆さん!メリークリスマス!

【2016/12/09 14:01 】 | 牧師のつぶやき | page top↑
ハロウィーンって教会行事?
一昨年くらいから、いきなり来ましたね、ハロウィーン。
これはやはり東京〇ィズニー〇ンドの影響でしょうか。
どうも、正々堂々「仮装」する楽しさが、この大流行の本音のような気がします。

ハロウィーンは、実はキリスト教の行事ではありません。
聖書にも、ハロウィーンを思わせる記述は全くありません。
かなり無理を言えば、マタイによる福音書26章52節が、こじつければ、
ぜ~んぜん関係ないとは言えなくもないかもしれない・・・くらいのところ?かな?

でもミッションスクールやキリスト教主義の幼稚園・保育園を卒業した方は、
もしかしたら、「ハロウィーンやってたなあ」と思い出す方がいらっしゃるかもしれませんね。

いかにも異国情緒があり、また、いわゆるキリスト教国、アメリカなどで
伝統的に行われていたので、教会学校やキリスト教主義の幼稚園では、
子どもたちが喜ぶ行事として取り入れてきた面もあります。

その頃は、たぶん、今のような華々しい仮装大会というよりは、
せいぜい、先生が黒い帽子をかぶり、かぼちゃランタンをちょっと飾って、
子どもが「トリック、オア、トリート!」と合言葉を言うと、
キャンディかチョコレートがもらえますよ、みたいなささやかな感じだったと思います。
子どもの英会話教室では定番の行事で、保護者同士、打ち合わせしておいて
子どもを訪問させたりしていましたね。

さて、このハロウィーン、今後どんなふうになっていくんでしょうね?




【2016/10/28 16:28 】 | 牧師のつぶやき | page top↑
保育園の運動会が無事に終わりました。正しくは「運動あそび」という行事です。
出てくるだけでいいわ~、という0、1歳児、
難しい年ごろながらそれなりの格好良さを求められる2、3歳児、
年中・年長のクラスとして全体を引っ張っていく4、5歳児。
それぞれに見応えのある、楽しいひと時でした。

当日は天気が悪くて、小学校の体育館で行うことになり、
見に来てくださった保護者の方々には、ちょっと窮屈で
混雑感があったかもしれません。
それでも文句が出るどころか、皆さん張り切って競技に参加してくださり、
後片付けも丁寧に手伝ってくださって、感謝でした。

保育園理事の方々も、教会員の方も見に来てくださって、
近隣の保育園関係者も差し入れ付きで来てくださって、
心温まるひと時でした。
【2016/10/13 14:05 】 | 牧師のつぶやき | page top↑
前ページ | BLOG TOP | 次ページ