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小松川教会よりあなたへ

東京都江戸川区北葛西にある日本基督教団小松川教会ブログです。ホームページ委員会が更新していきます。




夫婦で同じ仕事をする話 :: 2018/07/24(Tue)

・・・暑いですねえ。
もう、どこで誰と挨拶しても、「暑いですね」が枕詞になってる。
今朝の新聞では、「災害級の暑さと認識」という大見出し。

日曜日の夜から、武牧師は三宅島へ行っています。
帰りは火曜日の夜。たぶん10時過ぎるでしょう。
三宅島には伝道所があって、月に一度夕礼拝を行っていますので、
東京教区東支区の牧師が数名、交替で応援に行っています。
小松川教会は2名の牧師がいますので、武師がそのメンバーに入っているのです。

教会に2名以上の牧師がいることを「複数牧会」と言います。
大きな教会では、3人4人と牧師がいることもありますが、
ほとんどは夫婦どちらも牧師、というケースが多い。うちもそう。

365日24時間(はオーバーだけど)一緒です。仕事も家庭も一緒。
・・・と言うと、時々「わあ、いつもご一緒でいいですねえ、うらやましい」
なんて言われますけど、どうでしょう?いいでしょうか?
ホントにうらやましいのかな?
けっこう、大変ですよ、これ。

教会って、というか宗教界は男性社会でして、
今でも女性教職は説教をしない、なんていう教派教会もありますが、
わたしたちは最初から、説教はイーブンです。
講座など教育系は主に直子が、教区や教師会など外系は武が、
これは相談したわけではありませんが、自然にそうなりました。

で、何が大変なのかといいますと。
大変な時期がピタリと重なるわけです。(そりゃそうだ)
どっちかをどっちかがフォローする、ということがない。
あなたの手伝いまで手が回りません、自分のことで精いっぱい、となる。

ですから、一緒に、同じ仕事をしていても、
案外、協力関係にはないのです。後方支援とか、補給支援とか、しない。
もしかしたら、家事に関しての方が、話し合い助け合っているかもね。

少し前に、武牧師の洗濯物の干し方にケチをつけました。
そうしたら武君、おへそを曲げて「もう洗濯干しやんない!」と言いました。
それで直子ちゃんは、「それなら、もう武君の原稿の推敲やんない!」と言いました。
武君は「ごめんなさい、明日も洗濯物干させてください。」と謝りました。

・・・ま、こんな程度ですよ、牧師ったって。
いや、ちょっと待てよ、こんな程度はうちだけで、
よその夫婦教職はもっと助け合って、補い合っているかもしれない。
澤田家限定の話としてお読みくだされば幸いです。ふふふ。

澤田直子





  1. 牧師のつぶやき

オープンチャーチ開催します! :: 2018/07/14(Sat)

教会ってどんな所?
教会って何をしているの?
教会って行ってみたいけど、ちょっと怖い。敷居が高い。
そんな風に思っている人ほど、ぜひお越しください。
大学を見学に行くオープンキャンパスのように、教会見学「オープンチャーチ」を開催します。
7月29日(日)13:30からです。

2018オープンチャーチ(クリックすると大きくなります)

音楽あり、体験あり、ゲームあり。
思い切り教会を見て回ってください。
ご訪問、お待ちしています!

(文責:kaz)


  1. 行事

「理想の子ども」を捨てる話 :: 2018/07/10(Tue)

牧師になる、と決めた時から、
一貫して、わたしが自分のテーマにしてきたことは、
子どもを育てているお母さんがたへの伝道です。

牧師になるための学びと並行して、
アメリカ発祥の「親業」のひとつで、アドラー心理学から考え出された
アクティブ・ペアレンティングを学び、リーダー資格も取りました。
15年前は「アドラー心理学」と言っても、
あまりピンと来ない方も多かったのですが、
今となってはもう、知らない人の方が少ないかもしれませんね。

親であれば、みんな理想の子どもを持っています。
朝は起こされなくても機嫌よく起きてきて、
さっさと着替えて、テレビなんか見ないで朝ご飯をしっかり食べ、
保育園や幼稚園に間に合うように支度ができる。
使ったおもちゃは片づけるし、宿題はすぐにやるし、
いつも元気いっぱいで、笑顔で、やさしくて我慢強い。

このあたりまで話すと、だいたい皆さん苦笑されます。
どんなに多くのことを子どもに求めているかが明らかになりますからね。
自分にもできないようなことを子どもに求めるのは、
そこに本物じゃない「理想の子ども」を見ているからです。

理想の子どもを見ている時は、
本物の子どもの姿が見えません。
大好きなお母さんお父さんの望む通りの姿には到底なれそうもない、
がっかりしてくじけた子どもの心が見えません。

「理想の子ども」はどこにもいません。
それは作りだされた幻想で、何も価値を持たないものです。
それなのに、「理想の子ども」と現実の子どもを比べて
足りないところをあげつらうのは、子どもには酷なことです。

福音書を読んでいくと、最後は十字架の死と復活で終わります。
イエス様を「十字架につけろ」と叫んだ群衆の姿は、
まさに自分たちの身勝手な「理想」と違うといって、
本体のほうを消し去ろうとする、愚かで貧しい姿です。

本物の、今の姿を見ましょう。
そこに全てのヒントはあるのです。

澤田直子


  1. 牧師のつぶやき