2009-03-09(Mon)
教会ではこの時期、イエス様が十字架に架けられたときの苦しみ、痛みを覚えながら過ごします。
人によっては断食をしたり、または食事を制限したり、自分の楽しみをセーブしたりして、
自分を見つめ直し、罪を悔い改めてイエス様の十字架の痛みを覚えるときです。
私達は痛みを覚えるより、自分に楽な方を求めがちです。
自分の罪を認めるより、人の罪を指摘したいものです。
これが私達の根本の罪です。
私達は人との関係で考えたくなりますが、人がどうであれ、
神様の前に自分がどうだろうか、問う事が大切なことです。
ですので、人との関係から考える、という思考回路から解放されない限り、
私達の心の平安はありません。
イエス様の事を覚える今、一度静かに自分の中の奥底にあるものをのぞいてみませんか?
きっと今ある自分の苦しみから解放されると思います。
文責:副牧師
人によっては断食をしたり、または食事を制限したり、自分の楽しみをセーブしたりして、
自分を見つめ直し、罪を悔い改めてイエス様の十字架の痛みを覚えるときです。
私達は痛みを覚えるより、自分に楽な方を求めがちです。
自分の罪を認めるより、人の罪を指摘したいものです。
これが私達の根本の罪です。
私達は人との関係で考えたくなりますが、人がどうであれ、
神様の前に自分がどうだろうか、問う事が大切なことです。
ですので、人との関係から考える、という思考回路から解放されない限り、
私達の心の平安はありません。
イエス様の事を覚える今、一度静かに自分の中の奥底にあるものをのぞいてみませんか?
きっと今ある自分の苦しみから解放されると思います。
文責:副牧師