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小松川教会よりあなたへ

東京都江戸川区北葛西にある日本基督教団小松川教会ブログです。ホームページ委員会が更新していきます。




あなたの罪は赦された :: 2018/09/24(Mon)

☆6月3日の中高生礼拝より☆
ルカによる福音書5章17~26節p110(新)


《聖書の箇所を読んで、一緒に考えてみましょう》

1)イエス様は、誰の信仰を見て病の人を癒されましたか。
 (18~20節)
  
2)23節を読みましょう。
あなたは、どちらが易しいと思いますか?

3)26節、見ていた人々の反応はどうでしたか?

答えは↓続きにあります。

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プレゼントする、という事 :: 2018/09/13(Thu)

9月です。
あれほど暑かった夏がひと段落して、
朝夕は虫の声が聞こえるようになりました。

9月といえば、
教会では敬老感謝礼拝、
こちらは75歳以上の方が対象になります。

保育園では祖父母様招待会。
0歳から6歳までの子どもたちの祖父母様とくれば、
まあ、若い若い、わたしより若い方もおられます。

教会の礼拝では、祝福のお祈りをして、
ささやかなプレゼントをさしあげて、記念撮影をします。

保育園はもっと大がかり、気合が入ります。
子どもたちは、それぞれのクラスでプレゼントを作りました。
お歌や合奏のプレゼントも、と練習もしてきました。

全員のおじいちゃんおばあちゃんが来られるわけでは
ありませんが、来てくださる方々は、どの子の様子も
喜んで、こぼれんばかりの笑顔で拍手してくださいます。

特に0、1歳児なんかは、
もう、泣こうが歩かなかろうが、可愛い可愛い。
出てくるだけで充分、喜んでもらえます。

2歳3歳になると、緊張のあまり
おふざけする子や、固まってしまう子もいますが、
それもまた可愛い。

4歳5歳は立派です。よくこんなに育ってくれたねえ、という
拍手をあびて、誇らしげな顔がまた可愛い。

考えてみると、子どもって、
こんなにも無条件に喜ばれる場面は決して多くないのです。
どうしても、できる・できないで見られてしまう。

だから、祖父母様招待会ですけれども、実は子どもたちに
「ね、あなたたちは、そこにいるだけで、
皆を幸せにする力を持っているんだよ」と
伝えることができる場でもあるのです。

わたしも、当日はお客様席。
にこにこして大きな拍手をおくりたいと思っています。

澤田直子




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「わたし」という悲惨!? :: 2018/04/26(Thu)

たまには牧師らしいことを書こう・・・
過去に書いたブログを少々読み返してみたら、
保育園関係の事の方が多かった気がしました。
本業は牧師なんです。はい。

水曜日は小松川教会の「祈りの日」
早天、第一、保育園職員、第二、と4回の祈祷会、
その後「聖書を学ぶ会」があって、終わりは夜の十時。

先週まで「詩編」を読んでいましたが、
めでたく150編まで読み終わったので、
今週から「ハイデルベルク信仰問答」を読もう、と
いうことに相成りました。

15年くらい前でしょうか、
洗礼を受けて間もない方が、「もっと学びたい」と
希望されて、1年かけて読んだことがありました。

第二の問答に、わたしたち人間の「罪の悲惨さ」という
言葉が出てきて、これが心に引っかかっています。
そんなことない!というのではなくて、
そうだ、「悲惨だ」ってことがわかっていないなあ、と。

ローマ書7章18、19節にある通り、わたしもまた、
「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」
しかしその悲惨さには気づいていない時の方が多いのです。

やるべき事とわかっていて実行できない。
言わない方がいいことを口に出してしまう。
心から「寄り添う」ことができない。形だけ。
怒りをくすぶらせて、心の底では和解を拒んでいる。
敵(いるんです、わたしにも!)の祝福を祈りたいと思いつつ、
神様が報復してくださることを、どこかで望んでいる。

そんなことをつらつらと考えつつ、
でも、だからこそ、イエス・キリストの十字架の贖い、
これしかない、他にはどうにもできないとわかったのですから
わたしの悲惨さも全く役に立たなかったというわけでもないか・・・

あらためて、神様の無償の愛のすごみを
考えさせられました。ただ感謝です。
もう少し時間をかけて考えて、心に深く沈ませたいな。

澤田直子







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保育園の卒園式 :: 2018/03/20(Tue)

3月17日、保育園の卒園式が行われました。
教会堂で、パイプオルガンの奏楽の中、卒園生入場。
自分の子どもでもないのに、というか、だからこそか、
立派に育った年長児を見て、感無量でした。

わたしは、卒園式の準備(練習)では、
2歳児クラスの子どもたちを並ばせたり
移動させたりましたが、本番の日は牧師として
正装で前に座るので、一緒にはいられません。
○○君は大丈夫かなあ、○○ちゃんは・・・と気になって、
ついつい、そっちばかり見てしまいました。

でも、普段はなかなかじっと座っていられない子も、
この時ばかりは神妙な面持ちで、
卒園児をじっと見ていました。
いつもと違う雰囲気の中ではよく泣いてしまう子も、
しっかりと卒園児を送る言葉が言えました。良かった!

とはいっても、ここは保育園ですから、卒園式が終わっても
年長児は、週が明ければ、またいつものように登園してきます。
3月30日まで、(31日までの子も)保育園生活は続きます。
子どもたちにとっては、お家ですごすよりも
もしかしたら長い時間を過ごしたかもしれない保育園。
それも、あと何日かで終わりです。

『いっぱい覚えた讃美歌、ゴスペルソング、聖書のお言葉、
みんなみんな忘れません』(お別れの言葉より)
・・・忘れないでね。

澤田直子



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3月11日 :: 2018/03/13(Tue)

あの未曽有の大震災から丸7年が経ちました。
2011年3月11日、わたしは栃木刑務所のキリスト教教誨を
終えて、車で宇都宮に帰る途中でした。

電信柱がヤシの木のようにわさわさと揺れ、
道路は波うち、2車線の道路で隣を走っていた
軽トラックがずずっと滑ってきました。

思わず「神様、これは再臨ですか!?」と声に出てしまい、
次に栃木県には時々ある竜巻とか強風に巻き込まれたか?と思い、
ラジオをつけようとしたのですが、スイッチを押すだけのことが
なかなかできず、「こういう時は車を路肩に止めるんだったか?」
と思っても、実際にはどの車もゆっくりと走っていて、
その流れに合わせて走っているうちに、信号が次々に消え・・・
普段は1時間弱で帰れるところを2時間半かかって帰りつきました。

教会では内外の壁が崩れ落ちたり、本や書類が宙を舞っていた
ものの、人的な被害は、幼稚園も含めてゼロでした。これには大感謝。
その日は朝から疲れ切っていて体調が悪く、
「帰ったら2、3時間寝る」と言って出かけたのですが、
もちろんそんなことはできず、瓦礫の片づけに精出しました。

しかし後々テレビでの報道を見ると、東北地方の被害は
想像を絶するもので、言葉を失うとはこのことか、と思いました。

その後の5年のあいだに、牧師の研修で2回宮城と岩手に、
私的な旅行で2回、福島に行きました。
何もできない者に対して、地元の人々が
「来てくれるだけでいい、忘れないでくれればいい」と
温かい笑顔を見せてくださいました。

それから7年の間には、日本各地で大きな災害が起こりました。
あまり深くは考えずに、日本で生まれ育ちましたが、
ここはこういう国なんだ、火山があって、地震が起こって、
台風が来て、ゲリラ豪雨がある、そういうところに
わたしたちは生きているんだなあ、と思います。

そういう国に生きる者としての「祈り」、「信仰」、
そんなことを改めて考えています。
結論は・・・
今日を一生懸命に生きる。今できることをする。
出し惜しみはしない。
はい、わりと平凡なところに行き着きました。

特に、今日明日誰かとの別れがあったとして後悔しないように、
今日出会う人に笑顔と愛の出し惜しみはしない!と心に決めています。
(実行できているかどうかはまた別の問題なんですけれども)

澤田直子


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