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「わたし」という悲惨!?

2018年04月26日
たまには牧師らしいことを書こう・・・
過去に書いたブログを少々読み返してみたら、
保育園関係の事の方が多かった気がしました。
本業は牧師なんです。はい。

水曜日は小松川教会の「祈りの日」
早天、第一、保育園職員、第二、と4回の祈祷会、
その後「聖書を学ぶ会」があって、終わりは夜の十時。

先週まで「詩編」を読んでいましたが、
めでたく150編まで読み終わったので、
今週から「ハイデルベルク信仰問答」を読もう、と
いうことに相成りました。

15年くらい前でしょうか、
洗礼を受けて間もない方が、「もっと学びたい」と
希望されて、1年かけて読んだことがありました。

第二の問答に、わたしたち人間の「罪の悲惨さ」という
言葉が出てきて、これが心に引っかかっています。
そんなことない!というのではなくて、
そうだ、「悲惨だ」ってことがわかっていないなあ、と。

ローマ書7章18、19節にある通り、わたしもまた、
「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」
しかしその悲惨さには気づいていない時の方が多いのです。

やるべき事とわかっていて実行できない。
言わない方がいいことを口に出してしまう。
心から「寄り添う」ことができない。形だけ。
怒りをくすぶらせて、心の底では和解を拒んでいる。
敵(いるんです、わたしにも!)の祝福を祈りたいと思いつつ、
神様が報復してくださることを、どこかで望んでいる。

そんなことをつらつらと考えつつ、
でも、だからこそ、イエス・キリストの十字架の贖い、
これしかない、他にはどうにもできないとわかったのですから
わたしの悲惨さも全く役に立たなかったというわけでもないか・・・

あらためて、神様の無償の愛のすごみを
考えさせられました。ただ感謝です。
もう少し時間をかけて考えて、心に深く沈ませたいな。

澤田直子





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保育園の卒園式

2018年03月20日
3月17日、保育園の卒園式が行われました。
教会堂で、パイプオルガンの奏楽の中、卒園生入場。
自分の子どもでもないのに、というか、だからこそか、
立派に育った年長児を見て、感無量でした。

わたしは、卒園式の準備(練習)では、
2歳児クラスの子どもたちを並ばせたり
移動させたりましたが、本番の日は牧師として
正装で前に座るので、一緒にはいられません。
○○君は大丈夫かなあ、○○ちゃんは・・・と気になって、
ついつい、そっちばかり見てしまいました。

でも、普段はなかなかじっと座っていられない子も、
この時ばかりは神妙な面持ちで、
卒園児をじっと見ていました。
いつもと違う雰囲気の中ではよく泣いてしまう子も、
しっかりと卒園児を送る言葉が言えました。良かった!

とはいっても、ここは保育園ですから、卒園式が終わっても
年長児は、週が明ければ、またいつものように登園してきます。
3月30日まで、(31日までの子も)保育園生活は続きます。
子どもたちにとっては、お家ですごすよりも
もしかしたら長い時間を過ごしたかもしれない保育園。
それも、あと何日かで終わりです。

『いっぱい覚えた讃美歌、ゴスペルソング、聖書のお言葉、
みんなみんな忘れません』(お別れの言葉より)
・・・忘れないでね。

澤田直子

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3月11日

2018年03月13日
あの未曽有の大震災から丸7年が経ちました。
2011年3月11日、わたしは栃木刑務所のキリスト教教誨を
終えて、車で宇都宮に帰る途中でした。

電信柱がヤシの木のようにわさわさと揺れ、
道路は波うち、2車線の道路で隣を走っていた
軽トラックがずずっと滑ってきました。

思わず「神様、これは再臨ですか!?」と声に出てしまい、
次に栃木県には時々ある竜巻とか強風に巻き込まれたか?と思い、
ラジオをつけようとしたのですが、スイッチを押すだけのことが
なかなかできず、「こういう時は車を路肩に止めるんだったか?」
と思っても、実際にはどの車もゆっくりと走っていて、
その流れに合わせて走っているうちに、信号が次々に消え・・・
普段は1時間弱で帰れるところを2時間半かかって帰りつきました。

教会では内外の壁が崩れ落ちたり、本や書類が宙を舞っていた
ものの、人的な被害は、幼稚園も含めてゼロでした。これには大感謝。
その日は朝から疲れ切っていて体調が悪く、
「帰ったら2、3時間寝る」と言って出かけたのですが、
もちろんそんなことはできず、瓦礫の片づけに精出しました。

しかし後々テレビでの報道を見ると、東北地方の被害は
想像を絶するもので、言葉を失うとはこのことか、と思いました。

その後の5年のあいだに、牧師の研修で2回宮城と岩手に、
私的な旅行で2回、福島に行きました。
何もできない者に対して、地元の人々が
「来てくれるだけでいい、忘れないでくれればいい」と
温かい笑顔を見せてくださいました。

それから7年の間には、日本各地で大きな災害が起こりました。
あまり深くは考えずに、日本で生まれ育ちましたが、
ここはこういう国なんだ、火山があって、地震が起こって、
台風が来て、ゲリラ豪雨がある、そういうところに
わたしたちは生きているんだなあ、と思います。

そういう国に生きる者としての「祈り」、「信仰」、
そんなことを改めて考えています。
結論は・・・
今日を一生懸命に生きる。今できることをする。
出し惜しみはしない。
はい、わりと平凡なところに行き着きました。

特に、今日明日誰かとの別れがあったとして後悔しないように、
今日出会う人に笑顔と愛の出し惜しみはしない!と心に決めています。
(実行できているかどうかはまた別の問題なんですけれども)

澤田直子
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旭川に行ってきました。

2017年09月07日
「こころの友伝道」全国大会で、北海道は旭川に行ってきました。
今回は三浦綾子さんの著作について学ぼう、ということで、
森下辰衛先生を講師にお招きして、
三浦綾子さん、光世さんが通っておられた
旭川六条教会を会場としてお借りして、
本当に密度の濃い2泊3日でした。

塩狩峠にも行きました。
文学記念館にも行きました。
ついでに四季彩の丘にも行きました。

私は、三浦綾子さんの著作は半分くらいは読んでいるつもりですが、
また改めて読もうかな、という気持ちになりました。

自他ともに認める活字中毒、しかも牧師であるワタクシが、
なぜ、三浦綾子さんの作品を半分くらいしか読んでいないか、と言うと、
どうしても入り込みすぎてしまって、気持ちがつらくなってしまうのです。

三浦綾子さんが、結核とカリエスが治ってからも、
たくさんの御病気をされたことや、
御夫君である光世さんの、献身的な、口述筆記などなど、
いろいろと知るほど、
かけ離れた自分の姿が見えてしまう。

綾子さんも光世さんも、決して
御自分たちの信仰者としての姿を誇ったりはしていないのですが、
読むこちらが、何だか比べてしまうんですね。・・・

また、「道ありき」なんか読むと、
まあ、素晴らしい信仰者が出てくるわ出てくるわ。
己が姿を振り返ると、申し訳ないなあ、(誰に?)となります。

そうは言ってもやっぱり行ってよかった。
全国から集まった「こころの友伝道」の方々との
出会いも、とても感謝なことでした。

・・・そして、やっぱり降りましたよ。雨が。
帰ってきたら、今度は東京が雨だもの。
洗濯ものが乾かない皆様、ごめんなさい。

澤田 直子

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本を読む、ということ。

2017年07月08日
わたしは自他ともに認める活字中毒の重症患者です。
何でも読んでしまいます。
読むものがない時は牛乳パックのラベルでもいい。
電車の中吊り広告が人に隠れて読めない部分があると、
全く興味のない内容でもイライラします。

知人の話。優秀な女性です。
トップクラスの進学校を出て、社会的にも地位の高い仕事をしています。
ご家庭は温かく、環境も良く、家族の仲もかなり良いように見えます。
が、どういうわけか、彼女は尋常でなく打たれ弱い。
何か言われる度に落ち込む、というようなレベルではなく、
ひっきりなしに褒められていないと不安で居ても立ってもいられない感じ。

ある時、「そういう事ってどこにでも起こるよね」みたいな話から、
だって、これこれの本にもさあ、とかなり有名な本の名前を出したところで、
彼女は、子どもの頃からほとんど漫画も本も読んでいないことがわかりました。
読書感想文のために一年に一冊、しかも後書きだけ読んできた。

そうか。この人は、自分の人生の他は何にも知らないんだ。
だからいつも「これでいいの?」と不安になるのか。

いきなり本を読むのはハードルが高いから、まずは漫画でも読んだら、と
お勧めしました。すると、「それって、現実逃避じゃないですか?」
さらに「時間の無駄だと思ってました」と。

2~3歳の子どもに「おおきなかぶ」を読む。何回も読んでもらいたがります。
彼らは、かぶが抜けなくて困っているおじいさんと、
次々に助けに来るおばあさん、まご、いぬ、ねこ、ねずみと一緒に
かぶを引っ張っているのです。そしてかぶは最後には抜けます、ちゃんと。

本を読む、って、別の日常、別の人生をちょっとかじらせてもらうこと。
そうして、がんじがらめになりがちな心を解きほぐすこと。
あるいは、安全地帯に片足を置いて、はらはらドキドキな体験をすること。

無駄でも現実逃避でもないですよね。
・・・と自分を正当化する。ふふふ。

澤田 直子


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