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オープンチャーチ開催します!

2018年07月14日
教会ってどんな所?
教会って何をしているの?
教会って行ってみたいけど、ちょっと怖い。敷居が高い。
そんな風に思っている人ほど、ぜひお越しください。
大学を見学に行くオープンキャンパスのように、教会見学「オープンチャーチ」を開催します。
7月29日(日)13:30からです。

2018オープンチャーチ(クリックすると大きくなります)

音楽あり、体験あり、ゲームあり。
思い切り教会を見て回ってください。
ご訪問、お待ちしています!

(文責:kaz)
行事

「理想の子ども」を捨てる話

2018年07月10日
牧師になる、と決めた時から、
一貫して、わたしが自分のテーマにしてきたことは、
子どもを育てているお母さんがたへの伝道です。

牧師になるための学びと並行して、
アメリカ発祥の「親業」のひとつで、アドラー心理学から考え出された
アクティブ・ペアレンティングを学び、リーダー資格も取りました。
15年前は「アドラー心理学」と言っても、
あまりピンと来ない方も多かったのですが、
今となってはもう、知らない人の方が少ないかもしれませんね。

親であれば、みんな理想の子どもを持っています。
朝は起こされなくても機嫌よく起きてきて、
さっさと着替えて、テレビなんか見ないで朝ご飯をしっかり食べ、
保育園や幼稚園に間に合うように支度ができる。
使ったおもちゃは片づけるし、宿題はすぐにやるし、
いつも元気いっぱいで、笑顔で、やさしくて我慢強い。

このあたりまで話すと、だいたい皆さん苦笑されます。
どんなに多くのことを子どもに求めているかが明らかになりますからね。
自分にもできないようなことを子どもに求めるのは、
そこに本物じゃない「理想の子ども」を見ているからです。

理想の子どもを見ている時は、
本物の子どもの姿が見えません。
大好きなお母さんお父さんの望む通りの姿には到底なれそうもない、
がっかりしてくじけた子どもの心が見えません。

「理想の子ども」はどこにもいません。
それは作りだされた幻想で、何も価値を持たないものです。
それなのに、「理想の子ども」と現実の子どもを比べて
足りないところをあげつらうのは、子どもには酷なことです。

福音書を読んでいくと、最後は十字架の死と復活で終わります。
イエス様を「十字架につけろ」と叫んだ群衆の姿は、
まさに自分たちの身勝手な「理想」と違うといって、
本体のほうを消し去ろうとする、愚かで貧しい姿です。

本物の、今の姿を見ましょう。
そこに全てのヒントはあるのです。

澤田直子
牧師のつぶやき

牧師の子どもは大変だという話

2018年06月28日
まだ長男が学生だった時の事。
彼は部屋はいらないといって、勉強は台所のテーブルでしていました。
しかし台所のテーブルは、わたしにとっても勉強机。
だいたいが、牧師の仕事の半分くらいは調べものですもん。

彼が試験の最中なんかは、もう大変で、
「お母さんがテーブルの4分の3取ってるじゃないか!」
「しょうがないでしょ、使う本が大きいんだから」
「真ん中からこっちには本広げんなよ」
まるで小学生のけんかみたいですよね。
今思えば、微笑ましいですけれども、その時はけっこう真剣。
テーブルの陣取り合戦をやっていました。

受験の時期も、
「ごめん、お母さんは自分の勉強で手一杯です」と
一切気遣いせず、夜食も作らず。

よく、牧師の家庭の子は「つまずく」と言われます。
「つまずく」とはキリスト教用語で、信仰から離れること。
牧師として講壇で語っていることは立派なんだけど、
家庭に帰ると、やっていることが全然違うじゃないか、
ということなんですね。

他人のためには熱心に祈るのに、
自分の子どもが病気になると、ついイライラしてしまったり。
たぶん「ウチの親は、優先順位がおかしいだろ!」
と思っていたでしょうね。

幸い、うちのお子がたは、大きくつまずくことはありませんでしたが、
教会の内外で、そういうケースを幾つも見て来ました。
教会では「牧師の子どもなのに」と言われ、
学校では「おまえんち、教会なの?肉食えんの?」などとからかわれ、
親は、どこか世間から離れていて、きれいごとばかり言っている。
長男は「おれは苦労人だ」と言います。同感です。ごめんね。(口だけ)

もう子育ても終わって、まだ家族は一緒に暮らしていますが、
一緒に何かするとか、どこかへ行くことはあまりなくなりました。

子育ての難しさは、やり直しがきかないこと。
でも、自分なりに精一杯やったんだから、いいんだもん。
それに、わたしは楽しかったもん。

・・・なんて言ってるとまた息子に叱られそうだな。

澤田直子




牧師のつぶやき

聖書を読む、という大仕事

2018年06月08日
たとえば。
イスラム教の正典は「コーラン」ですが、これはアラビア語でなければなりません。
他の言語に訳されたものは、もはやコーランではないそうです。
また、仏教には様々な宗派があって、中心となる経典は必ずしも同じではありません。
どの宗派も「般若心経」を唱えるわけではありません。(と、聞いています)
そもそも、経典はびっくりするくらいたくさんあって、
お坊さんでも研究者でも、一生かかっても読み切れないのではないか、とも
聞いたことがあります。

で、キリスト教の「聖書」は、というと、
これは異例に親切な正典だと思います。

だって、世界の主だった言語には既に訳されているし、(感謝!宗教改革)
一冊にまとまっています。ページ数に比べればそんなに高価でもない。
買うのも簡単。大きな本屋さんならだいたい扱っています。

ところが、これを読み切ることが大変なんですねえ。

わたしはもちろん読んでいますよ、毎日。牧師だもん。
一日に、旧約聖書を3章、新約聖書を1章読み続けると、
一年かからずに全部読むことができます。
その他に説教準備とか諸集会の準備でもあれこれひっくり返して読みます。

でも、調べ物のために読むのと、自分のために読むのとは少し違います。
朝、祈りをもって読む時は、「この時間は神様への応答、捧げもの」と思って読んでいます。
忙しい生活なのでそんなに長い時間ではありません、読むだけなら長くても10分くらい。
そして、耳が開かれますように、心が開かれますように、と祈りつつ、
たったこれだけでも、神様にお献げする時間が与えられて良かった、と感謝しつつ、
「通読一覧表」に読み終わったところのしるしをつけて、
一日が本格的に始まるのです。

この短い時間が、どれほど自分を助けてくれているか、
しみじみと思います。
聖書を読む、って、言うのは簡単ですが、習慣になるのは難しいかもしれません。
でも、この大仕事は必ず必ず魂の養いになります。
何より神様が喜んでくださること。

一人でも多くの人が、一章でも二章でも、一文でも、
聖書に触れてほしいなあ。
そして!既に読んだ、今も読んでいる方は、ぜひぜひ
この素晴らしさを言葉と行動に変換してくださいね。

澤田直子


牧師のつぶやき

ゴスペルって!ハンドベルって!!

2018年06月01日
お久しぶりです。
あっという間に1か月が経ってしまうなあ。

4月、5月と、小松川教会のゴスペルワークショップに
参加することができました。
土曜日の午後ですから、本来は「備えの日」ですし、
日曜日に備えて声もあまり使わない方がいい。

でも、やってみないであれこれ言えない、というのが
わたしの信条。まして、音楽は何でも好きだし。
まあ、ついていけてはいないのですが、楽しいです。本当に楽しい。
お腹の底から声を出す、って、大人になるとやらないでしょ?
頭も耳もフル回転して、さらに歌う、これは楽しいですよ。

わたしの場合は、たぶん本番の時は歌えない、というのも
気が楽なのかもしれません。(とくに残念ではない、内気なので)

それに加えて、5月は午前中に行われたハンドベルの練習にも
ちょこっと混ぜていただきました。
これは難しかった!ものすごく集中力がいります。
ハンドベルリンガーの方々は、認知症の心配はないな、と思いました。
でも、これも楽しかった。やっぱり本番でベルを振ることはないと
思いますが、牧師を隠退したら、ちょっと本気でやってみたい。

何でこんなに楽しかったんだろう、と考えて、思い当たりました。
どちらも一人ではできないこと。
自分の分を果たそうと、みんなが頑張って、
失敗ももちろんあるけど、ふっと、心が一つになる瞬間がある。
きれいな、あるいはエネルギッシュな音楽を外から聞いているのではなくて、
まっただ中にわたしがいるんだなあ、という、何というか「当事者感」がある。

とてもすてきな体験ができました。
いえ、過去形じゃなくて、また参加させてもらう気は満々なんですけど。
いえいえ、ちゃんと牧師の仕事をして、その上で、ですよ。(あぶない)

神様に感謝です!

澤田直子







牧師のつぶやき
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