小松川教会よりあなたへ

東京都江戸川区北葛西にある日本基督教団小松川教会ブログです。ホームページ委員会が更新していきます。

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「レントって何?」

イースターの知名度は大分上がってきましたが、
その前のレントについては、ん?何それ?という方も多いと思います。

イースター前の40日間(日曜日を除いて)のこと。
今年は3月1日から始まりました。

この期間、クリスチャンはイエス・キリストの十字架を思って、
心静かに信仰的に過ごすことを心がけます。
自分の罪を思い、祈りを生活の中心にするよう心掛け、
中には、イエス様の受難を偲んで好きな食べ物を断ったり、
克己献金として捧げものをしたりする人もいます。

リオのカーニバルの「カーニバル」謝肉祭とは、
レントに入る前に存分に楽しんでおこう、というところからできた
お祭りだそうです。何か変な感じ!

昨年まで、某女子刑務所のキリスト教教誨師をしていたのですが、
毎年決まって「今年のレントはいつからですか?」と質問される方がいました。
イースターが移動祝日なので、レントも毎年始まる日が違うのです。
それほど熱心な信仰者なのに、なぜ刑務所にいるのかなあ、
と悲しくも不思議でした。

信仰者でなくても、時々心を静かにして、
口から出してきた言葉や、行いを振り返ることは必要じゃないかと思います。
とはいえ、この季節は年度替わりの忙しい時。
気候もいわゆる三寒四温で、体調を崩しやすい時です。(花粉症も!)

心だけじゃなく、体だけじゃなく、魂まで含めて、
平穏で勇気とやさしさに満ちていられればいいですね。
澤田直子記

《保育参観あれこれ》

今週は、保育参観週間です。
たくさんの保護者が、お子さんの保育園での活動の様子を
見に来てくださっています。

本当は、いつもの保育園での生活を見ていただきたいのですが、
なかなかそうはいきません。

子どもたちも、お母さんお父さんが見ていると、
そわそわしたり、やたらにはりきったりと、
いつもとちょっと違う姿を見せてくれます。

いつもは、トイレに誘導しても、なかなか遊びから離れられず、
ズボンを脱いでひと遊び、スパッツを半分おろしてうろうろ、
人一倍時間がかかる子が、今日はやけにさっさと支度しているなあ、と思うと、
お母さんが向こうで見ていたりします。

「見守られている」ということは、大きな影響があるんだなあ、と思わされます。

大人になって、見守ることはあっても、見守られている感じを
あまり持たなくなってしまいましたが、
神さまに見守られていることを、ふと思いました。

子どもから教わることは多いですね。

新しい一歩

急な冷え込み、大変な雪にみまわれた所もありますね。
みなさん、体調は大丈夫ですか?
体調管理をしっかりしてお過ごしください。
さて1月も終わりになりました。
進級、進学、就職の準備も始まっているかと思います。
いつもお祈りしています。
個人的なお祈りの課題もあれば是非、リーダーか先生にお話ししてください。
受洗希望の方も、お声がけしてください。
質問もご気軽にどうぞ。

今週も、主に感謝して。

「べき」からの解放

ああ、またお久しぶりになってしまいました。反省。

先日、付属保育園の研修で「アンガーマネジメント」なるものを学びました。
いやあ、おもしろかった!
わたし自身、宇都宮にいた時には親業講座の講師もしていたので、
「怒り」の問題は何度となく取り上げて来ました。
内容は同じなんです。

でも、教える側と、教えていただく側では、同じ内容でも違うものが残るのです。
つまり、教える時は「人の事」でも教えられる時は「自分の事」
それがこんなに違うんだなあ、というのにまず驚きました。

「怒り」のタイミングが速すぎる「瞬間湯沸かし器型」も
後々までゆるゆると引きずる「貼り付けカイロ型」も、
その元になるのは、自分の「こうあるべき」という信念と、周囲のズレなのです。

怒りに囚われた時には、まずは静まって、
わたしの「べき」は最も至極なことだろうか?
ただのマイルール、自分の感情かも?と検証してみる。

クリスチャンは、どんな人に対しても愛をもって優しく接するべきだ
・・・と思っている人が、教会に来た時に期待していたほどの歓迎を受けなくてがっかりするとか。
クリスチャンは、絶対に休まず礼拝に出るべきだ
・・・と思っている人が、介護や病気のために礼拝に来られない信徒に腹を立てるとか。
クリスチャンになったからには、過ちや失敗は許されない
・・・と思い込んで、自分に過度なプレッシャーをかけて疲れ果ててしまうとか。

「べき」って、いらないストレスを呼び込むなあ、と改めて思ったのでした。
ところで、牧師特有の「べき」って何でしょうねえ。
研修の時、「自分のべき」を書き出してみました。

武師「電気は消すべき」・・・かわいい!

《原 登 先生を偲んで》

12月17日未明に、小松川教会の象徴的存在であられた、
原 登先生(日本基督教団隠退教師)が天に召されました。
95歳でした。

その1週間前に、入居されていた老人ホームでのクリスマス会にハンドベルクワイアのメンバーと一緒に伺いました。
いつもと変わらず、大きなよく通るお声でお祈りしてくださり、エレベーターでお部屋に帰る時に手を挙げて挨拶してくださったお姿からは、まさか1週間後に天に召されるとは想像もできないことでした。

5月まではほとんど欠かさず毎週の礼拝に来てくださって、「今日、説教の御用をさせていただきます澤田です」と挨拶すると、いつも、「そうですか、それはまことにありがたい!」と励ましてくださいました。
教会におられる時はお元気ですが、お帰りになると疲れてしまい、体調を崩すことがあるので、6月からは聖餐式のある時だけにしましょう、となり、でも6月の1週目は気温が急に高くなったので、秋になったら、となり、結局5月1日、原先生の95歳の誕生日に礼拝に来られたのが最後でした。

召された17日は保育園のページェント礼拝でしたので、奏楽する直子は行くことはできず、武牧師が駆け付けました。
まるで眠っておられるようなお顔だったそうです。
ホームの方のお話では、前の晩の食事(ステーキ)も残さず召し上がり、いつものようにお風呂に入って、いつものようにお休みになった、との事でした。

4月に赴任した私たちは、原先生との関りは短い期間でしたが、それでも、そのお人柄に触れて教えられることがたくさんありました。
特に、いつも口にされる言葉が「まことにありがたい」「すみません」、そして朗らかに「ははははは」と笑われ、時に女性には「おきれいですね」と、にっこりとされ、原先生の存在は「証」だなあ、と思わされたことでした。
火葬前式ではハレルヤ三唱してお見送りをしました。

一つの時代の終わりのように思えて、寂しさを感じられる方々が多くいらっしゃることと思います。
讃美歌21の575番「球根の中には」の3番の歌詞を思います。
・・・いのちの終わりは いのちの始め
  おそれは信仰に 死は復活に
  ついに変えられる 永遠の朝
  その日、その時を、ただ神が知る

今度、原先生にお会いする時までに、自分の人生もしっかりと歩いて行かなくては、と思います。

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プロフィール

Author:小松川教会ホームページ委員会

小松川教会は、「聖書は神の言葉、全人類にとっての救いの言葉」と信じる健全な聖書信仰に立つプロテスタント教会であり、全国に約1700余教会ある日本基督教団に属しています。

モルモン教、ものみの塔、統一教会とは一切関係ありません。
澤田武主任牧師

澤田武主任牧師

澤田武主任牧師


澤田直子牧師

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